日時: 2016年4月23日(土) ①18:00~ ②19:30~
会場: ブックカフェギャラリーQuiet Holiday
参加費:
一般1000円(1ドリンク付き)
高校生以下500円(ドリンク別)
◆トークゲスト K.Kotani 監督
《線》はアニメーションにおける入口だが、素朴なだけに極めていくほど奥深い。
そんな魅力に取りつかれたK.Kotani監督、アニメーション作家歴四〇余年。
作品のスタイルはシンプルだが、ひとたび入り込めばその奇妙な空間に感覚が絡め取られてしまう。
いつの間にやら私たちは、アニメーションの《純粋さ》と対峙することになるのだ。
『ネバネバ 』
|
様々な試行錯誤のあげく、「質感を持った動きで表現する」事に到達。 「触感シリーズ」第一作。 8mmフィルムによる最後の作品。
【2’00″/1988】
|
『面喰い』
|
「触感シリーズ」行き詰まりの後、 TVアニメ『アルプスの少女ハイジ』に触発されて、「日常生活の丹念な描写」による作品制作に挑む。 デジタル化第一作。 「映楽動楽」伊藤高志賞、観客賞、 「せとうち映像祭」準グランプリ、 「CGアニメコンテスト」外伝収録など、受賞歴多数だが、この作品が代表作というのも困ったものだ。
【6’40″/1999】
|
『長距離狙撃者の孤独』
|
『面喰い』の後、『翼の人』が時間と手間をかけた割に失敗作となり、 「慣れぬ事はするもんではない」と、原点に戻って作った作品。 「アニメーション全国総会」で、何故か参加者の子供たちにバカ受けする。
【4’50″/2003】
|
『喜劇駅前自殺』
|
上映会の打ち上げで盛んに飲んでいると 「小谷は飲み過ぎだ。アル中ではないか」 と揶揄されたので、 「そうではない。作品制作の為に飲んでいるのだ」との言い訳を兼ねて製作。 コンセプトは、天才バカボンのパパの 「別の人が死んだ。これではだめなのだ」
【8’40″/2004】
|
『アニメのアニメ 』
|
タイトルは『話の話』のパクリ。 アニメーション作りの快感と、邪魔される事への憤りを表現。 故・相原信洋氏のお気に入りだった。 ピンポーン。
【5’00″/2005】
|
『溺れた凡人』
|
山村浩二さんの『頭山』、 「自分の頭に出来た池で溺れ死ぬ」という所で不満があり、 「こうすればどうか」と作ってみた作品。
【4’05″/2007】
|
『紙の風景-大宴会-』
|
元々、『そのへんの戦い』という作品のために作ったテストパートが面白かったので、 そのまま各種パターンを製作、並べてみました。 ほぼ自室での撮影。 ピールの空き缶を多めに並べてある他は、そのまんま。 子供たちにも安心して見せられる作品。 この作品も「CGアニメコンテスト」外伝収録。
【4’28″/2008】
|
『奇人の跡』
|
タイトルは『ヘレン・ケラー物語』のパロディ。 とにかく「走る」シチュエーションを作ってみたかった。 ドローイングでは、久しぶりのカラー作品。
【3’40″/2013】
|
『リマスとバボーサ』
|
高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を観て、 「映像表現とは、作家が観せたい映像を正確にイメージしてきっちりと画面を作って行く」事であるとようやく気付き、 「おれはこんな事も判らずに何十年もアニメーションを作って来たのか」 と深刻な衝撃を受けて製作した作品。
【8’18″/2015】
|
K.Kotani
1958年大阪生まれ。1972年頃より、8mmフィルムでアニメーションの製作を始める。
1977年、PAF(プライベート・アニメーション・フェスティバル)3で『かいぷつ宝島』を発表、 以後、製作歴・各地の上映会での上映歴多数。
1978年、「相原信洋実践アニメ塾」を受講、 以後1985年頃まで受講生仲間とのサークル活動を続ける。
1979年には、「アニメーションワークショップ大阪」にスタッフとして参加、 1980年、1982年には「実践アニメ塾」を仲間とともに開講。
1984年、「近畿アニメーション協議会」を、当時の自主制作サークルを集めて立ち上げる。(現「近畿アニメーション協議会事務局」)
1988年、アニメ塾OBなどと共に共同製作スペース「地球倶楽部」を京都に立ち上げる。(1994年活動停止)。
1992年、「徳島アニメ学校」に講師として参加。(~2000年3月まで) 2001年、宝塚市ピピアめふにおいて、「ピピアめふアニメ教室」を開講。現在に至る。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~kotani/welcome.html
|
|
|