『ハッピーアワー』を姫路で上映できる!
姫路シネマクラブ運営委員一同、嬉しく思っています。
姫路シネマクラブは1997年の設立以来、非営利の映画上映団体として活動してきました。
2ヶ月に一度の会員に向けた例会。一般の方も対象とした特別上映会。自主制作映画を取り上げる「シネマ窟」。他団体の上映会との協力など、上映される作品、形態は多岐に渡っています。
ほぼ20年の歴史を持つ姫路シネマクラブですが、
中でも『ハッピーアワー』の上映は最も挑戦的で、また《上映しなければならない作品》のひとつと考えています。
まずは、30代後半の女性たち4人が作品の核となっています。
彼女たちそれぞれの人生は《今を生きる》われわれに直結しています。
平たく言うと、まったく他人事ではない、ということです。
更に、彼女たちだけではなく、この映画に出てくるすべての人々についても同じことが言えます。
《今》にしっかり向かい合うことで、『ハッピーアワー』は普遍性を得た映画になっているのだと思います。―もっとも、これは時間が証明するしかないのですが。
《今》に向かい合った作品は、まず、《今》観て頂きたいのです。
次に、姫路に住む私たちにもなじみの深い《神戸》が作品の舞台になっていることです。
ここで描かれているのは観光地ではない、人々が生活する日常空間としての《神戸》です。
これほどまでに、リアルな神戸が生き生きと、そしてうつくしくスクリーンに定着された映画を、私たちは他に知りません。
そして驚くべきことは、この映画の出演者はすべて《俳優ではない》ことです。
それは素人を起用して映画を作った、という単純なものではありません。
『ハッピーアワー』は《俳優でない》彼らがカメラの前で演技をしたからこそ、リアルな空間が捉えられた、とも言えるからです。
《俳優でない》彼らが演技をする。一見、矛盾を抱えたように思われるかもしれません。
『ハッピーアワー』公開に合わせて出版された『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成』(左右社)からも、濱口竜介監督はじめスタッフの方々が、いかに試行錯誤を重ね、矛盾と思われることを克服してきたのかがわかります。
これは昔のような撮影所の中で映画会社が映画を作るというシステムがとっくの昔に崩壊したあと、どのように映画が作られ進化していくのか、重要な示唆に富んでいます。
デジタルカメラ、パソコンでの映像編集など機材のデジタル化により、単純にコストだけをみれば、映画をつくることへのハードルは下がっています。
しかし《何をどう撮るのか》ということについて、人間はハードの発達ほどには進化してはいません。
フィルムで築き上げてきた映画の歴史は、デジタル化されることにより大転換期に入っています。
『ハッピーアワー』はその転換期に食らいついた、ひとつの革命です。
映画というものが大きく変化している《今》も、『ハッピーアワー』を通して体感していただきたいと思います。
先に挑戦的と書きましたが、そのひとつは上映時間、5時間17分という長尺の映画を上映することです。
しかし、それは単に会場の確保と、観客の方にどう呼びかけるかだけの問題です。
既に『ハッピーアワー』を観た私たちは、内容において挑戦的であるとは思いません。
上映時間だけを見れば驚かれるかもしれませんが、実際に『ハッピーアワー』は2度、3度と観られるリピーターが多いのです。
理由はいろいろ考えられますが、突き詰めれば、「スクリーンという垣根を超え、もう一度あの登場人物たちとあの空間を過ごしてみたい」と思うからではないでしょうか。
長尺、などということはもはや関係ありません。《必要な時間》なのです。
観客の皆さまとともに、『ハッピーアワー』を共有できることを、今から楽しみにしております。